ピアの広場

2005年から書いている「 精神障害と共に生きていく」ブログです。

私の精神疾患について〜日常生活編〜

今年もあと2ヶ月になった。働いていた頃はそれなりに慌ただしい生活をしていたが、最近はそういった事も無く過ごしている。

今回は、精神障害者であり、同じ障害を持つ妻のいる家族である私が普段どうしているかを書いてみようと思う。

これまでの記事は以下に貼り付けておくので、是非ご覧下さい。

 

piano-hiroba.hatenablog.com

 

 

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前書き

精神障害に留まらず、様々な障害や事情を抱えた人は多い。言ってしまえば「眼鏡をかけている人」だってその中に入って来る。

いい歳をして、アニメ好きな私は異世界ものが気に入っている。人族以外の獣人・精霊やエルフ族など多様な知的生命体が混ざり合って生活している。

身分制度やさらに、奴隷制度を肯定するものではないが、「社会的弱者」はファンタジー世界にもいるのだ。

勇者もいれば魔王もいる。全ては陰陽。大きな観点で考えた時に、現代と何がどれだけ違うのか。

働かない生活と焦燥

特例子会社を退職したときに「働かない生活」を支援員から言われてからも、別の支援事業所に登録をして、就職活動は継続していた。

ハローワークや障害者就職専門サイトに登録して働き口を探してみた。精神障害の場合「オープン」「クローズ」という探し方がある。障害があることを伝えた上で就職活動するのが「オープン」。一見健常者と変わらない人の場合は、障害がある事を伝えずに就職活動するのが「クローズ」といった形になる。

障害者を集めた「特例子会社」でもうまくいかなかった私は、オープンでの就職を希望していた。東京には特例子会社をもつ企業が多いが、私が通勤できる範囲に「特例子会社」はなかった。近所にあった唯一の特例子会社は「知的障害の方のみを受け付けています」といった制限があった。

就職が決まらない焦りも手伝って、私の状態はさらに悪化していった。寝起きすることにも支障が出始め、通院などの外出時には杖をつくようにまでなってしまった。

変わってきた社会

2005年を過ぎてから精神障害者も使える社会的資源が急速に増加した。

就労移行支援事業所が幾つもできた。大手企業が運営している所もあり、公共交通機関を利用した通勤が困難な人の為に、テレワークでの就労も早くから「社会復帰の1つの形」として扱っている。

基礎自治体地域生活支援センターも年を追うごとに拡充していると感じている。人口の多い基礎自治体では支援センター自体が複数存在する。さらに、条例で「当事者スタッフ」の採用を義務付けている自治体もある。(障害者雇用の創出)

私の住むエリアでは支援センターは1つで当事者スタッフの義務づけもない。市の自立支援協議会の中に「精神障害の当事者部会」さえない。「身体障害の当事者の発言力」が強く、他の障害に関してはこれからに期待する他ない有様だ。

税収による地域格差は明確に存在していると実感している。

就労移行支援事業所が増えたと書いたが、私が受講した「委託訓練」の実施回数は減っているようだ。今年になって特例子会社時代で現在も当事者講師をしている「昔の同僚」からきいた話だ。

他の面では「訪問看護」が目新しいと感じている。精神科の看護師による訪問看護サービスで、健康面・悩み・生活習慣の見直しなどを手伝ってくれる。「訪問看護」と聞くと高齢者宅を訪問して服薬チェックをする人達と思い込んでいた。ウチは3年前からお世話になっている。

その他にも、精神障害者の地域生活支援に関しては、高齢者と同様の包括的支援が必要だという考えが主流になっていて、精神科病院での長期間入院問題の解決策もこの中で考えられたものだ。

またアニメの話だが、「サイコパス」というアニメがある。精神的に犯罪を犯す危険のあるものを「潜在犯」とし、矯正施設での治療を義務づけられるという世界観のアニメだが、この国の今と大差ないのかもしれない。理解出来ないものを恐れて排除して安心を得る。それで本当に良いのだろうか?

私と妻の生活

我が家は私と妻の2人暮らしだ。2人とも半世紀以上いきている。2人とも障害者年金を受給している。残念ながら、制度に沿った形では生活保護から抜けることは出来ていない。

朝は私が大抵先に起きている。妻は何年も過眠状態が続いていたが訪問看護が来るようになってから、午前中に起きて朝食後の薬を飲めるところまでになった。

妻は夜型らしく、日中に買い物に行くと目眩を起こしてしまうことが多くある。その為、買い物は深夜コンビニに行く事が多い。

2人暮らしだとコンビニの食材がちょうど良い量になっている事が多い。価格の変動も少ないので、金銭管理も楽になって都合の良い事が多い。

私は最近、日中は「精神障害者の地域での自立生活」について考えている事がほとんどだ。大甥も発達障害である事もあるが、なんとも生きにくい現状を少しでも良い方向に向かわせたいと思っているからだ。訪問看護の際も自分の体調の相談と、今の精神保健福祉・医療の状態を話すことが多い。

友達の必要性

現状で、2人とも所謂「友達」がいない。少ないとかではなく「いない」のだ。訪問看護の時以外で第3者と話をする機会がない。この状況は最悪だ。お互いの不満が処理出来ずに家の中が不穏な空気に包まれることが度々起こる。

この空気が一気に変わることがある。「共通の誰かの話」をするときだ。とりわけ「敵対視している人の話」の時は絶大な効果がある。

であれば、友人がいれば各々そんな話をすることが可能なはずだと感じる。主治医からもそういった存在の重要性は幾度となく言われてきた。

家族になってしまうと出来ない話が存在するのだ。妻と結婚する前、交際していたときは共通の敵対視する相手は「精神疾患」だった。

異世界ファンタジーの様な世界

前書きでも触れたが、アニメの異世界ものは多くは中世のヨーロッパがその舞台になる。

階級社会だったりもするが、同じ職種の知的生命体が集まる「ギルド」があって、掲示板から各々の能力に見合った「クエスト」を受けて、達成することで報酬を得る。

高難易度のクエストを引き受けるために「パーティー」を組んでメンバーの得意とする技量で仕事ができる。

この場合はクエストの成功率が履歴書になってしまうことになるが、現実社会はチャレンジできる機会が少ない。

「トライアル雇用」の数はいつも不足している。起業するにしても1人では出来ないことが多い。

精神障害」という部分を自分意外の人に判るように説明する機会と知識が不十分だと強く感じる。

まとめ

アニメの話を交えてしまうと不謹慎と思われるかもしれないが、「知らないもの=怖いもの=排除・無視」というものは変わっていないと感じる。

現実感が伴わない話に聞こえるとは思うが、精神保健福祉に関する法律で「精神障害者の人権」を認めるとされたのは最近と言っても過言ではない。今でも精神病院の入院病棟で起きた暴行事件は、刑事事件として被害届を出せないのだ。

精神障害には様々な弱みを伴っていて、患者の数だけ症状があると思って貰って間違いない。心の病というとファジーな感じに聞こえるが、「脳内の伝達物質などが引き起こす症状」としたらどうだろう。

誰1人として同じ脳を持ち合わせていないのだから、診断名が同じでも症状は違うのだ。

障害者同士の結婚生活は大変なことだらけ。(我が家の場合特に)

だからといって、失敗だったのか?と聞かれたとすると、こう答える。

それは今際の際まで分からない。