前回の投稿からあっという間に10月です。
自分の記録ですが、誰かの役に立てば嬉しいです。
前回までの記事はこちら
精神障害者同士の結婚
派遣社員でクレジットカード会員獲得業務をしていたときに、今の妻と知り合った。
2006年の夏からは、派遣社員では無く店舗でのパート従業員になっていた。
同じ頃「本当にやっていけるか」を確認する為に同棲を始めた。
仕事は年末から正月がとても忙しく、休み無しの13連勤となっていた。
2007年1月1日の仕事が終わってから、婚姻届を役所の夜間受付窓口に提出した。
支え合う事の難しさ
半年ほどのお試し期間を設けて結婚生活に入ったのだが、簡単では無かった。
義母の認知機能が低下して、毎日のように長時間の電話をかけてくるようになった。その内容は「携帯電話が使えなくなった」というものが多かった。それ以外にも「妻が何故家を出て行ったのか」という話だ。その相手をしていた妻は疲弊してしまい、ついには入院治療が必要な状況にまでなった。
当事者同士で支え合えば良いと考えていたが、結婚となると親の問題も関わってくる。
妻は一人っ子だったので、他に相談出来る家族がいない状況だった。
想定外の事が起きてしまい、私も体調を崩し結婚生活は一気に苦境に立たされる事になった。
再び生活保護受給
パート従業員の仕事も、派遣会社の仕事も出来なくなった事で妻の入院に際しての「入院保証金」が支払えなくなった。病院のケースワーカーに「生活保護受給申請」を促され、手続きをした。
その後、2人とも障害者年金の申請が通ったが、現在も医療費の部分で生活保護受給世帯から抜け出せないでいる。
社会復帰訓練
当時は精神障害者の障害者年金受給はハードルが高く、申請が通るまでの間は就職活動を行っていた。現在は就労移行支援事業所が多くなったが、当時の主力は「社会復帰委託訓練」だった。
この情報は、独身時代に通っていた作業所から教えて貰った。受講希望者は書類審査があり、通過した約20名で2〜3ヶ月間、パソコンのタッチタイプ・面接のシミュレーション・良好な人間関係を築く為の「SST」などを学ぶ。
途中でプレゼンテーションソフト・ウェブサイト作成ソフトによる発表会があり、職安の担当者、大手企業の人事担当者に見学に来て貰っていた。良い人材が見つかれば声が掛かるように工夫されていた。私の場合は地元の家電店からお誘いを受ける事が出来た。
私の受けた訓練の就労実績は80%程度あった。講師陣には当事者が多く、私もそうなりたいと思い、家電店はお断りして、この訓練を実施している特例子会社に嘱託社員として入社する事になった。
特例子会社での理不尽
「特例子会社」とは法定雇用率を達成する為に大企業が子会社に障害者を集めたものだと思って戴いてかまわないと思う。
特定の障害に絞った会社や、ミックスになっている会社があったが、当時の精神障害者は0.5人換算だったと記憶している。法定雇用率が2%だとすると精神障害者だけで達成しようとすると4人を雇用しなければならなかった。
それでも比較的症状の軽い精神障害者の場合、事務補佐職で採用されるケースが多かったと記憶している。
余計な正義感
話は戻るが、委託訓練の当事者講師になれた私は妙な噂を聞いた。「訓練最終日の打ち上げ会で、講師が受講生潰しをしている」というものだった。
自分の受講した時にもそのような事があったのか・・?
特定の当事者講師が、酒を飲んで「お前にはそんな実力は無いんだ」と言っているのを聞いたという情報が入ってきた。
問題の講師は以前から問題行動を起こしており、上長の「受講生の打ち上げに講師は参加してはならない」という業務命令にも服さない状態だった。
3ヶ月も頑張って通っていた人が、面接に行く事を諦めてしまうような事を言う。そんな人間を放置しておく事が私には出来なかった。
上長に対応を求めると、当人は私への嫌がらせを始めた。
法的手段を講じようと内容証明を送ると、父親という人から申し入れがあった「やっと入れた会社なので、穏便にすませたい」と言う。会社側もそれを支持する形になった。
まともな事を言っているつもりだった私は困惑し、体調を崩して入院。その後退職に追いやられた。
私以外の当事者講師は現在も継続して委託訓練の講師をしてる姿が、その会社のウェブサイトに掲載されている。
働かない生き方
委託訓練は訓練を実施する会社と、地域の支援センターなどが関わる。支援センターには相談員がいたので、退職になった事情を話した。この時点では障害者年金を受給できていなかったので、次の仕事を探す相談をしなければならないと思った。
担当支援員から「働かない生き方もありますよ」と言われた。自分の人生が崩れていくような感覚になった。
昨年まで、就労について我武者羅にやってきた。それが原因で体調不良を招いた事もあった。
履歴書の職歴の欄はあっという間に足りなくなった。
役所のケースワーカーに相談すると「もう大分頑張ってきたので、先ずは体の状態を第一に考えて、無理はしないで」といわれた。
そうか。私には所謂「お仕事」が出来ないんだ。だから「適応障害」なんだ。
妙な納得の仕方があったものだ。
次回予告
実はつい先日「PTSD」を発症してしまった。トリガーになったのは「人身事故寸前の場面」
症状は呼吸困難と不眠・睡眠障害(足ムズムズ症候群みたいな感じ)
5年位前、地元の駅で飛び込み自殺を目の前で見てしまっていた。同じ頃に10針も縫う自傷行為をした家族を病院まで徒歩で連れて行った事があった。「生命の危険」という共通の場面が今頃になって強烈なストレスになって顕在化したという診断だった。
眠ろうとしても難しく。これまで効いていた寝る前の薬が全く役に立たない。
でも、これも人生。私の、私だけの人生。生きていくだけなのだろう。。。
気の滅入る内容の投稿になってしまったかもしれない。最近「精神障害者の現状」について勉強を始めている。
その性質上「高齢者の包括支援」と同様の仕組みがあれば、病院から地域に生活の場を移行出来るとの考えがある。
同時に精神障害者の事をよく知ってもらわないとならないとも感じる。
次回は、精神科の入院体験談を紹介します。
読者の方の中には同じ病院に入院した経験のある方も居られるとは思います。私の体験した事だけになりますので、偏った見方になってしまうと思います。それでも、全く知らないで精神科に入院というよりは・・と思っています。