ピアの広場

2005年から書いている「 精神障害と共に生きていく」ブログです。

私の精神疾患について〜発症編〜

こんにちは。2020年8月12日13:40私の住まい近辺は雷が凄いです。

今回からは、精神疾患に予防の意味でも自分の事を思いだして書いています。

当時の環境

30歳手前で結婚を一度している。当時の私は家業を手伝っていた。月給90,000円。会社で払えるものは全て経費扱いにしていたので、生活は出来ていた。

だが、「普通」にこだわる相手だったので、この金額が許せなかった様だ。私としてもベッドタウンで商売をして行くには将来の不安があったので転職した。

平成9年の5月から西東京地区にある建設機械総合レンタルの会社に営業所採用で働き始めた。「建設現場のトイレ」から「テープカットの金色のはさみ」まで、取り扱い商品の名前・用途を覚えるのに必死だった。

使用期間の3ヶ月を終了後、営業所のフロント営業職として勤務。朝早くから23時頃まで働いていた。

過集中状態で仕事

営業所フロントの仕事は、何でも屋。自分専用のコンピュータ端末とプリンタ、FAXに電話が用意されていた。顧客からの電話を受けるのは勿論、営業所内の在庫調整、顧客が来所したときの対応、伝票発行、運送便の調整、整備状況確認等。「やり甲斐」は感じていた。

だが、過集中状態でそれらの業務をしていると空腹感が無く、昼食も摂らない状態になっていた。あるとき整備担当者が「食べてください」とカップ麺を持ってきてくれた。ただ持ってきてくれたのでは無く、お湯も入って3分経過して食べるだけになった状態のものをだ。周りの人たちに心配をかけるほど集中してしまっていた。

肝心の月給は20万ほど前職から増えた。

今思うと予兆だったの?

痛みの無い虫垂炎

使用期間が3ヶ月あったのだが、順調では無かった。入社してすぐに虫垂炎にかかってしまったのだ。痛みは殆ど無かったが、右足を上げると腹の中で何かが上に持ち上がるような感じがしていた。

病院では血液検査後、お腹を押されて「押したときと、離したときとどっちが痛いですか?」それまでの人生で初めて聞かれる質問だった。「緊急手術します」と言われ1週間の入院となった。

滝のような汗をかく

退院後、仕事に戻ったのが夏近くだった。作業着はツナギで夏物もちゃんとあった。だが、汗をかく量が多くなっていた。整備担当の手が足りないときは、私も手伝う。他の人もそれなりに汗をかいていたが、下着まで汗でビッショリになってしまい着替えていたのは、私だけだった。

自分の足に躓く

あるとき珍事が起こった。床の状態が変だったわけでは無い。継ぎ目や段差も無い。そんな場所で「右足が左足につまずいて倒れた」

驚いたのは私だけでは無かった、同僚、所長が一様に引きつった笑いになっていた。

寝ているときもビジネスホン

その後は、夜自宅で寝ているときもビジネスホンの音が聞こえるようになり、気がつくと布団の上にあぐらをかいて「あの高所作業車をどこから手配しよう」と思案しているような状態になった。

精神疾患が判明するまで

身体の異常なのだと思っていたので、医者に行って何種類もの検査を受けたが「検査をする度に、身体的な異常は無いと証明される」と当時の担当医が言った。

当時は精神疾患専門病院に行くと言う事が大きな壁だった。

通勤にはマイカーを使っていたが、事務所に続く数百メートルの直線に入ると信号機の色が分からなくなってしまう。周りの景色がモノクロになり過呼吸も併発。

事務所に電話をして休む事を伝えた後、車内で20分程度休むと色が戻ってくる。

精神科専門の病院を探して受診。「仮面うつ病」と診断され、薬が処方された。

私が精神病?ショックと焦り。同時にやっと「病名がついた」と言う安堵感もあった。

会社は半年の休職後、退職。

平成9年5月から1年半の出来事だった。

次回予告

予兆の早い段階で、自分が認めていれば・・・
今でもそう思う事があります。

このブログ記事が、精神疾患の予防・障害状態回避の一助になればと思っています。

次回は障害状態になるまでのことを中心に書こうと思っています。

お気づきの点などありましたらコメントからお願い致します。