こんばんは〜
なんか、熱が出ている男です。
5月。。。今年は「母の月」とするとかしないとか。
母のことを書いてみたいと思ったので、書きます。
昭和10年12月日生まれ。。令和になる前に亡くなった。
大工の棟梁の家の末娘。
バスガイドや当時の美容院のモデルさんにもなったらしい。
父とは航空自衛隊のPXで知り合い、結婚した。
私は母が大好きだった。反面父は大嫌いだ。
今思うと無計画な田舎者の父によく最後まで連れ添ったものだと思う。
我が家は暴君「父」が取り仕切っていた。
自営業になる時も「明日から自分で商売始めるから」のような状況だったらしい。
当然の事ながら家庭内環境は大変だった。
オイルショック前は自営業主は羽振りが良かったが、その後は衰退の一途。
それでも母は明るい性格だったともう。
家の中で問題が起きても子供の私たちが心配しないように。
”電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、みんな私の所為なのよ”
等と言って笑い飛ばしてくれいたから、助かっていたのだと思う。
友達の間でしか行ったことのないはずの「模型屋さん」の場所を知っていて、誕生日プレゼントを買ってきてくれたりもした。
内緒の書籍の場所もご存じだったに違いない(^_^;
母が亡くなった時は大変だった。結核菌が出てしまったため清瀬の病院に入院。
同時に膵臓がんも患っていて、同時に両方の治療が出来ない状態だった。
思い出すと急に会いたくなったりするが、もう会うことは出来ない。
マザコンが治っていないのだろうか?
でも、母を忘れてしまうくらいならば「マザコン」のレッテルを進んで貼り付けてもらいに行きたいくらいだ。
実家の商売が上手くいかなくなって、父が自殺しようとした時にも母が助けた。
不謹慎な話だが「母に長生きしてもらたかった」は姉弟の共通の意見(^_^;
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