ピアの広場

2005年から書いている「 精神障害と共に生きていく」ブログです。

見えないモノの大切さを知らぬ国

私は先日の誕生日で58歳になった。

もうずいぶん昔のことだから、忘れかけているけれど、精神疾患に罹ったのが30歳ちょっと目のことだから、今のような障害状態になってから30年近く経つ。

最初は某建設機器のレンタルの会社

朝7時から夜11時まで働いた。「営業所でなる電話は全て出るように」と所長に言われて、馬鹿正直に実践してた。他の所員も出なかったし、仕方がないと思っていた。

そうしているうちに精神疾患に罹った。3ヶ月ほど傷病手当をもらって休職していたが、最後は何の補償も受けられずに退職した。

それからは複数社に正社員として採用されたが、一年ほど経つと病状が悪化して、休職し、退職の繰り返しだった。どこからも補償は受けられなかった。

2回目の結婚後、委託訓練を受講した。

その訓練を実施していた会社に当事者講師候補として入社した。その直後に妙な噂を耳にした。「T当事者講師が、受講生の打ち上げ会で、女性受講生にだけ「お前にそんな実力はない」などと言い、毎回女性受講生がチャレンジする機会を奪っている」というモノだった。

話の内容を調べると、それは真実で、私の時の女性受講生もそれが原因で特例子会社の面接を断念していたことが判明した。

T当事者講師講師の行動は許されるモノではないと感じた私は「内容証明郵便」を送って告発をしようとした。それがどういうわけか、「喧嘩両成敗」と言われて私は体調を壊して入院。相手の方は親が出てきて「せっかく会社に入れたので、勘弁してほしい」と身勝手な言い訳をしたらしい。

結局私は自宅から一番遠い移植場に転籍、相手は自宅近所の事業所内で「メールボーイ」を担当することになった。当人の言い分は「受講生や私が、自分より優れているのが気に入らなかった」ということらしい。

真夏に2時間以上の通勤で体調を壊して私は何の補償も受けられずに退職に追い込まれた。

その後数年かけて再度社会復帰にチャレンジするために、コンディションを調整する目的で府中にある精神科病院に入院した。

そこで同じ病棟の間やから殴る蹴るの暴行を一方的に受けた。相手の親は悪びれもせず「ここに入院できて本当に助かっています」と私に言った。

精神科病院の中で起きたことはたとえ傷害事件でんでも「刑事事件にはならない」つまりは民事で争うことになる。そのことを病院に伝えると「当該患者は病院の保護課にある。あなたとは対立関係になるので即刻退院してください」とソーシャルワーカーカーから言い渡され、酷い打撲を負ったまま放り出された。この時も何の補償も受けられなかった。

その後、地元の駅で目の前で列車への飛び込み自殺を見させられ『PtSD』になった。鉄道会社に舗装を求めたが、門前払い。

最近になって多目的事業所に通い始めたが、 PTSDのフラッシュバックが起きる事件があり、仕事に行けなくなった。事情をそばにいた支援員に話したにも関わらず、1ヶ月以上経過した今も補償は受けられない。

この30年で精神保健福祉に関わる仕事は増えたようだが、肝心の当事者への補償はいまだに30年前のままだ。

こんな人生が嫌になって自称すれば、東京都保健局の救急車に乗せられて約1っヶ月の懲罰とも言える入院生活を送る羽目になる。

消えてしまいたい。楽に死にたい。

こんな国から出たい。そう思っても無理な状況だ。

こう言ったことに不満を抱いてうぁいけないのだろうか?

私心が弱いからこんな目に遭うんだろうか?