ピアの広場

2005年から書いている「 精神障害と共に生きていく」ブログです。

チャレンジの機会が少ない国

チャレンジすることって何ですか?

 

人生って万人に共通して、1回しかありません。

日本はその機会が少ない国だと思っています。

 

やってみて、出来ればそれでいいと思うのです。

いろんなレッテルを貼って、やらせる前からダメ出しをする。

ある意味効率的に見えますが、私はそうは思いません。

 

1回しかない人生で、チャンスまで奪われたら出来るものも、出来ません。

可能性だって見つけられません。

昔の人は言いました。「失敗は成功の母」

 

チャレンジしないのは、成功の可能性を捨てるってことだと思います。

 

障害を持った人は、「生活のしにくさ、生きにくさ」を持った人だともいます。

すなわち、「生きにくさ」が無くなれば「障がい」も形骸化されると思っています。

 

自分なりの生活の仕方を、レッテルが邪魔する社会が今の日本です。

 

障害者雇用などといっていますが「週40時間勤務」って・・・

 

プロスポーツ選手の活躍とされるのは「試合の一コマ」です。

そのほかの時間は?

私自身、地元が西武ライオンズの本拠地でしたから、背番号3が渋滞する車の脇をランニングする姿も知っています。

 

60歳になったら定年。なんで?

 

その人の生活を不自由なくサポートできる社会ならばいいでしょう。

現実は違います。

 

認知症の問題も「亡くなる前日まで現役」の方が、当人にとっても、家族や周りの人にとっても幸せなのではないですか?

 

定年退職を良しとした場合でも、その後のチャレンジする機会が無いに等しいと感じています。

 

この国の考え方が変わらない限り、今の若い世代に明るい将来を提示することなどできないと思っています。

 

会社や事業に失敗しても、その人の人生は続いていく。

その事を考えない。ダメなやつというレッテル貼り。

生活保護受給者が一つの例です。

 

選挙権はありますが、被選挙権は失います。

一番困っている人が、こうすれば上手くいくのではないか?

と言う権利を失うのです。

 

それは「中庸の精神」は美徳かもしれませんが、社会的弱者を生み出す元凶に他なりませんよね。