ピアの広場

2005年から書いている「 精神障害と共に生きていく」ブログです。

ここまで来たけれど

◆生まれてから他人に厳しく自分に甘い親の元で育った。

中学までは友達も多かった、数学が苦手でその時間になると保健室に逃げ込んでいた。

水銀体温計をごまかして熱が出た事にしていた。

◆高校ではクラスになじめなくなっていた。

生徒会本部で高校生活を送っていた。

新設校だったので、文化祭を生徒が楽しめるイベントにする為に頑張った。

3年の冬。クラスでカラオケに行く事になってたが、私は誘われなかった。

◆大学には推薦入学が出来た。

部活でバンドをやったりしていた。授業には殆ど出ていなかったが、有り難い事に「不可」と言う成績が表示されない評価表だったので、4年生になってからも毎日講義に出て、卒業した。

◆社会人になって初めて人の悪意を受けた。大学の同期に背広代金8万円を踏み倒された。

◆家業を手伝うようになっても「他人に厳しく自分に甘い」社長の下で苦労し続けた。

◆バブルが崩壊して家業も傾いた。結婚もしたばかりなので、もう一度勤め人になった。

仕事はブラック企業そのもので、某宗教団体のコネで入ってきた人間の尻拭いばかりされられて、精神病に罹った。

◆結婚相手は某宗教団体の信者だった。

職を転々とする私に「信心しないから病気が治らない」と言われていた。

「他人に厳しく自分に甘い」親が、私が連帯保証人になっている借金が「払えなくなったから頼む」と電話で言ってきた。

一方的に離婚された。マイホーム(戸建て)もあったが失ってしまった。

生活保護に入って、作業所に通った。このブログはそのときに始めた。

一年ほど通うってから、クレジットカード獲得員の職で契約社員になった。

半年ほどで生活保護から抜けられた。

◆仕事場で知り合った女性と再婚した。彼女も精神障害者で生まれてからずっと某宗教団体の信者だった。

結婚してすぐに彼女が入院した。義理の母に頼られすぎていた。医者は私に母には入院先を知らせるなと言ってきた。当然だと思った。母から「娘を殺して隠したんだろ!」と言われ始めた。ある日お隣の公明党の市会議員が夜9時過ぎに来て「家の中をさがさて欲しい」と尋ねてきた。

死にたくなったので、そのとき持っていた薬を全部飲んだが死ねなかった。

◆退院してきてからも妻も私も体調が人並みにまで戻らなくなっていた。

仕事に就けず、委託訓練を受けた。その後その会社に就職できた。

◆委託訓練の講師をしていたが、同僚の受講生に対しての所業が許せず「内容証明」送り訴えようと思った。左遷された。腸炎距離通勤になり、退職願を書いた。

◆上司が退職願を持ったまま先に会社を辞めていた。復職を願ったが認められなかった。

◆障害者年金を受給できるようになった。

◆妻が年金受給月を間違えて、私の趣味の道具を全て売って穴埋めした。

◆妻の母が倒れた。一度はアルツハイマーと言われたが今は一人暮らしが出来ている。因みに、過去に私にした事は「分かんないのよね」で済まされている。。。

◆妻が芸能事務所に所属したいといってきた。(元 悪役商会の女優だったから)

費用は掛からないのか何度も確認したが「掛からない」と言っていた。しかし、芸能専門学校の授業料50万円が掛かる事が判明。また私の道具を売った。

◆妻が詐欺に引っかかっているのを私が気がついた。総額がだんだん増えていき結果的には67万円にも上る。また私の物を全部・・・全部売却しても追いつかない。

◆母のことも妻のことも守るべき人と思えなくなった。

◆私は55歳になっていた。これから人生を考える。障害者基礎年金と障害厚生年金を足しても東京では暮らせない。

全てが嫌になった。生まれてきた意味?そんな物は無い。即答できる。

恩返し?誰に?

アリスのヒット曲を思い出した。「今はもう誰も」

今はもう誰も 愛したくないの

何もかも無くした こんな僕に出来る事・・・・