ピアの広場

2005年から書いている「 精神障害と共に生きていく」ブログです。

精神科医療って・・・?

最近感じる事なのだが、精神科医療って他に比べるといびつだな。

治療を受けたいと思っている人は、私の知る限り生命の危機に瀕してる人は少ない。

これは整形外科と似ているかもしれない。

内臓に至るような骨折などは別として、リハビリに来る高齢者の社交場のようになっている医院も多いように感じる。

共通する点は「周りから見て、生命の危機に瀕していない患者」

訪問看護に関しても最近は疑問符がつく。

ウェブサイトに書いてある「訪問中は〜」と言う作業を全くしていない。

担当事務所に連絡すると「全員やっていません。なんでこういう書き方するんでしょうね?」

知らんわ!ぼけっ!

患者・利用者って、商売で言う所の「客」だと思う。

その客に同意を求めても「会社の信頼」を失うだけ。その会社のヘンテコな社内事情にまないでほしい。

コロナ禍で医療従事者に感謝をする事に反対はしない。

同時に全ての医療従事者が感謝に値するとは思えなくなってきている。

精神科において。

医師=薬をコーディネイトする人

看護師=話しを聞くだけの人

薬剤師=医師の処方箋を見て薬を用意する人

「師」とつく人たちのなんと頼もしい事か。。。。

彼らには患者の顔が保険点数に見えているのだと思う事がある。

訪問看護師に関しては来年から暫く来ないで貰ってみようと思う。

そういえば、以前も書いたかもしれないが、国立の研究所まで併設している専門センターで酷い扱いを受けて退院してきてから数日間、一切の薬を飲まなかった。

すると、自分には幻聴がある事が分かった。

処方されている薬を飲むと幻聴は無くなった。どの薬にその効果があったのかは知りたくもない。

同じ障害を持つ妻に説得されて服薬を再開したものの、医療従事者の上から目線にはうんざりしてきた。

妻の言葉方が、よほど気持ちに届くのだ。

今服薬で何とかなっている人に断薬を勧めたり、容認はしない。

良い感じに効いている薬と、医師・看護師・薬剤師は別物。

死にたいと思った事は割とある方だが、実際に他人が自殺をした現場に居た身として誤解を恐れずに言えば「貴方はそれで良いかもしれないが、周りは大きな迷惑だ」となる。

それによってPTSDになる人も居るかもしれない。交通機関を止めれば社会的な損失を招く。

私にはそんな事が出来ない。

天寿が何歳なのか知らんが、早くそのときが来る事だけを願う。

2020年はこんな事を感じながら終えていくのだ。

55歳になったばかりのおじさんが誕生日もお祝いできないくらい・・それでいいと思うくらい現代の精神科医療・福祉に絶望を感じた一年だった。