ブログを引っ越してきた男です。
今朝は快晴!おはようございますm(_ _)m
現代社会における障害者対策のマッチポンプ *マッチポンプ - Wikipedia
マッチポンプに関してはURLを参照して下さいね。
簡単にいっちゃえば、車椅子の方が難儀することの多い、歩道に埋設された視覚障害者のための点字タイル。歩道度幅が狭ければその度合いは両方とも上がってしまいます。
障害者対策って大変なことなんだよなぁ・・・
精神障害者に関してはどうかな??
100年前の日本には「精神病者監護法」と称して、精神障害者を隔離・監視する法律がありました。
そしてこの問題に向き合っていた精神科医も存在したんです。
映画にもなっています。
日本の社会は歴史的に障害者対応に関しては「マッチポンプ」なのは現代でも変わりません。映画のタイトル「夜明け前」は100年前よりもよくなっているので、「夜明けも近い」という意味だったのでしょうか?
それとも・・夜明け前が、一番暗くて、一番気温が下がって寒い。ということなのでしょうか?
どちらにも取ることができますが、今の私は残念ながら後者です。
ある自治体の「精神障害者への合理的配慮」の具体例がなんとも言えない気持ちにさせられます。
「わかりやすい言葉で、丁寧に話すよう心がける」・・・
障害の有無を問わずにお尋ねします。
「難解なお役所言葉」好きですか?
「乱雑な説明」で理解できますか?
誰でもがしてもらいたい配慮は法律で言うところの「合理駅配慮」じゃないでしょ?
他にも「相手の話をよく聞いて、気持ちを受け止めるように心がける」
全国民が、自治体の職員さん自身でさえも、そうあってほしいと思うことが書いてあるのです。
もちろん何もしないよりは、いいと感じています。
ですがね、道ですれ違って「障害があるんだな」と気がつく身体障害の方とは違いが歴然すぎて現状では「精神障害者を生み出し、その障害者を救済する」ように見えてしまうのは何故でしょうか?
自立生活をしろと言うが、「人間が先か仕事が先か?」
人にはそれぞれ個性があります。
その個性にマッチした仕事ならば「継続した安定就労」が可能になると感じます。
障害者や高齢者にも同じことが言えるのではないかと感じます。
「就労以降支援事業所」が必要とされているのは、人間を仕事に当てはめる訓練が必要だからではないでしょうか?
可能か不可能かはやってみなければ判りませんが、人間に仕事を合わせて行ったら・・
「就労以降支援」「生活支援」などの支援という言葉自体が不要な社会ができあがあるかもしれません。
現代社会の歪み
現代の日本は残念ながら、まだまだ「仕事に人間を合わせる」方式。
この先、障害者と健常者と呼ばれる「障害者予備群」が対話をする機会を増やさなければ「障害」は永遠に残ってしまうような気がしています。
100年前のオーストリア
↑の方で紹介させてもらった映画「夜明け前」の中で精神科医 呉 秀三がウィーンに留学した時の話に「迎えの馬車の御者」「荷馬車から荷下ろしをしている人夫」が現代でいう精神障害者であったことも紹介されています。
真に開かれた社会になれば、障害者というレッテルで区別・差別絵押されるともなくなっていくかもしれません。
皆さんにとって、明日がハッピーになりように・・・