ピアの広場

2005年から書いている「 精神障害と共に生きていく」ブログです。

引き籠もりの科学

コロナ騒ぎでテレワークが増えて、外食産業ではデリバリーが増える。

私の引き籠もり率もうなぎ登りで年末を迎える。

何故引き籠もるのか?外出をしたくないのか?

福祉従事者の知人が言っていた「感情的な話」も必要なのでしょう。

でもさ、「引き籠もりを無くす」ことは無理でも「引き籠もりを減らす」事は可能だと感じてる。

先ずは引き籠もりとは?

引きこもり(引き籠もり、ひきこもり、英語表記 hikikomori)とは、仕事や学校に行けず家に籠り、家族以外とほとんど交流がない人の状況を指す。現時点では、日本の厚生労働省はこうした状態が6か月以上続いた場合を定義としている。引きこもり - Wikipedia

一部を抜き出しただけなので、是非全文を読んでみて貰いたい。

とは言いつつ、自分の場合出かけていく場所が無い。

職が無いし、学校とも縁が無い。地域での活動もしたいと思うが、環境が整備されていない。

精神障害になって幾つも会社を転々としてからは友人と呼べる人も居ない。

簡単に言えば「社会から切り離されている状態」なんだろう。

楽しみや興味を引く事が部屋の中に多く、同様の気持ちになれる事が外出先に無ければ外に出る必要がなくなる。

逆に、地域社会で通学時間帯の「緑のおじさん」などをしていたなら、学校のある日は毎朝交差点にいるのだろう。

引き籠もっているから会社や学校に行けないのか、会社や学校に行く意味を無くしてしまったから引き籠もっているのか。これは「鶏と玉子」のような話かもしれない。

私が高校生くらいの時に家庭用ゲーム機のブームがあって、野球ゲームに熱中して学校を休んだ人がいた。

前の晩から初めて、気がついたら午前4時。もう少しやっても・・・
次に気がついたのが登校時間を過ぎてから。午後から行けばいいや・・・
その次は午後1時頃に気がついた。今日は休もう・・・ 

彼の場合はその他にも逸話が多く、就職の面接とチャゲ&飛鳥のライブが同じ日になってしまった。

代々木のオリンピックプールで初めての音楽ライブ。しかもチャゲアスだぜ!

行くに決まってんってんじゃん!

とライブに行ってしまう人だった。

地域社会に家の中よりも有意義な事が少ない。若しくは、地域社会から必要とされていない。等の理由が引き籠もりを増加させていると感じる。

「楓君がいなくても何とかなる。君の代わりはいくらでもいるんだから」なんて言われちゃうことも有るだろう。

おそらく、奮起を促すつもりなのだろう。しかし誰でもがポジティブではない。

翌日に退職願を出してしまう人も居るかもしれない、引き籠もってしまうかもしれない。

昨日も書いたが、日光を浴びる事さえ、その結果には個人差が出る。

なんだか「天岩戸」の話のようだが、引き籠もりを無くすのでは無く、減らすのならば何とか出来そうな気がするのは私だけだろうか?

こういったことを、医学的・社会学的に考えて未来をデザインする力が弱い事が一番の原因なのだろう。